大判例

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東京地方裁判所 昭和49年(ヨ)491号 判決

債権者 甲野一郎

〈ほか四名〉

右債権者ら五名訴訟代理人弁護士 木内俊夫

同 浅石紘爾

債務者 学校法人大正大学

右代表者理事 福井康順

右訴訟代理人弁護士 神崎正陳

同 神崎敬直

主文

債権者らの申請をいずれも却下する。

訴訟費用は、債権者らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  債権者ら

「債権者甲野一郎、同乙村二郎、同丙川三郎は、いずれも債務者の設置する大正大学の学生たる地位にあること、債権者丁山四郎、同戊原五郎は、いずれも債務者の設置する大正大学の停学処分を受けていない学生たる地位にあることを、それぞれ仮に定める。」との判決。

二  債務者

主文同旨の判決。

第二当事者双方の主張

一  申請の理由

(一)  争いある権利関係

1 債務者は、私立学校法にもとづいて設立された学校法人であって、大正大学、大正大学高等学校を設置しているものであり(以下、単に大学というときは大正大学を指すものとする)、債権者らは、右大正大学の学生として、昭和四八年一二月当時、それぞれ、左記のとおりの学部、学年に在学していた。

甲野一郎

文学部哲学科西洋哲学専攻第三学年

乙村二郎

文学部哲学科西洋哲学専攻第三学年

丙川三郎

文学部文学科米英文学専攻第三学年

丁山四郎

文学部文学科国文学専攻第四学年

戊原五郎

文学部社会学科社会事業専攻第三学年

2 しかるに、債務者は、昭和四八年一二月一九日、債権者甲野、同乙村および同丙川は懲戒処分として大正大学を退学させられたものとし、同日以降右債権者らが大正大学の学生たる地位を有することを争っており、また、債務者は、同日債権者丁山および同戊原が懲戒処分として同日以降一ヶ年停学させられたものとしている。

3 しかしながら債権者甲野、同乙村および同丙川は、大正大学の学生たる地位を有するものであり、また債権者丁山および同戊原は、大正大学の停学処分を受けていない学生たる地位を有するものである。

(二)  保全の必要性

債権者らは、債務者を相手として、債権者らが、大正大学の学生たる地位を有すること、あるいは大正大学の停学処分を受けていない学生たる地位を有することの確認を求める本案訴訟を準備中であるが、退学処分を受けたとされている債権者甲野、同乙村および同丙川は現に大正大学学生としての諸権利、諸利益一切を奪われており、また一年の停学処分を受けたとされている債権者丁山および同戊原は、現に在学証明書以外の証明書の交付請求権を失ったものとされ、大学構内および大学学寮への立入を禁止され、奨学金関係の事務取扱も拒否され、その結果講義を受けたり、試験を受けたり、サークル活動を行なったりすることができないものとされる等、甚だしい不利益を被っている。大学における学問、研究は社会人としての人格形成過程にあって、極めて重要な部分を占めるものであり、また学問はその学ぶべき時期を失すればこれを後に回復するのは、甚だ困難なものであることはいうまでもない。かようなわけで債権者らには、本案訴訟の判決をまっていたのでは回復不能の著しい損害を被る危険があり、緊急にかかる損害を防止するための処置が必要である。

二  答弁

(一)  申請の理由(一)の1、2は、いずれも認めるが、同(一)の3は争う。

(二)  申請の理由(二)は、否認する。

債務者が、債権者らの保全の必要性の主張を否認するのは、次に述べるような理由によるものである。

1 債権者らは、退学もしくは停学処分を受けることにより学問を学ぶべき時期を失し、これを後に回復するのは困難であると主張する。これは一般論としては正しいが、債権者らについては全く妥当しない。すなわち、以下に述べるように、債権者らはいずれも大正大学学生として学問を学ぶ意欲を有しているとは考えられず、仮に退学もしくは停学処分がなされていないとしても学ぶべき時期を失していることに変りはない。

2 債権者甲野は、昭和四七年度までの取得単位数二単位、昭和四八年度については受験届不提出のため単位取得の可能性はなく、債権者乙村は、昭和四七年度までの取得単位数四〇単位、昭和四八年度については受験届不提出のため単位取得の可能性はなく、債権者丙川は、昭和四七年度までの取得単位数七二単位、昭和四八年度については出席日数不足につき単位取得の可能性はなく、債権者丁山は、昭和四七年度までの取得単位数五六単位、昭和四八年度については履修届不提出のため単位取得の可能性はなく、債権者戊原は、昭和四七年度までの取得単位数七四単位、昭和四八年度については、出席日数不明の四科目を除き、出席日数不足、聴講カード不提出等のため単位取得の可能性はない。

3 以上のとおり、受験届を提出せず受験の意思の全くない債権者甲野、同乙村、履修届を提出せず昭和四八年度に一科目の受講もしなかった債権者丁山、この三名は、大正大学履修要綱Ⅲ、5、(8)、イの規定によって、全科目出席日数不足の債権者丙川については、同要綱Ⅰ、3の規定によって、それぞれ単位取得の可能性は全くなく、学期末試験の受験資格すらない。債権者戊原については、ごく一部の科目につき、出席状況不分明のものがあるが、他科目の出席状況からみて、いかに勉学の意欲に欠けているかは明瞭である。

4 また、債権者らには以下に述べるように追試験が行われる可能性は全くない。

大正大学においては、追試験に関し、履修要綱Ⅲ、5、(5)、(ハ)が「定期試験期間中に病気その他やむを得ない理由によって受講することができなかったと認められた学生に限り当該授業科目について行なう。」と規定し、さらに同(ニ)は、追試験受験には一定の要件を具えた追試験受験願を定期試験終了後一週間以内に提出し承認を得なければならない旨を定めている。一方、大正大学においては、単位取得の要件として、同要綱Ⅰ、3に「一科目の授業日数の三分の二以上出席して、試験、レポート等の成績を総合して合格と認められた授業科目については、所定の単位が与えられる。」とし、同Ⅲ、5、(8)、(イ)に「履修届、聴講カードおよび受験届を提出していない者については単位を認定しない。」とされている。したがって、債権者丁山は履修届を提出していないことから、債権者甲野、同乙村については受験届を提出していない(いずれも本件処分がなされる前に提出期限を過ぎている。)ことから、右債権者らは定期試験の受験資格がなく、昭和四八年度は一単位すら取得することは不可能であり、また追試験も受けることができない。債権者丙川、同丁山については、わずかの科目を除いて出席日数不足のため単位取得の可能性はない。受講カード未回収科目についても、そのほとんどは出席日数不足のため単位取得の可能性はないものと推測されるが、仮に出席日数の要件を充足したとしても、追試験を承認するかどうかは、平常成績等を考慮して、各科目担当教官が決定するところであるが、すでに各担当教官より、右債権者らが仮に出席日数を充足し、右債権者らに対し、本件仮処分申請によって地位保全の仮処分がなされ、右債権者らが追試験願を提出したとしても、追試験を承認する余地はないとの明確な意思表明がなされているものであるから、追試験を受けることはできない。以上のように、債権者らは追試験というもので救済される状況にはないことは明らかである。

三  抗弁(申請の理由(一)争いある権利関係について)

(一)  懲戒処分の存在

大正大学学長福井康順は、昭和四八年一二月一九日、債権者甲野一郎、同乙村二郎および同丙川三郎に対し、同債権者らをいずれも懲戒処分として退学させる旨の、債権者丁山および同戊原に対し、同債権者らをいずれも懲戒処分として同日以降一ヶ年停学させる旨の各通告書をそれぞれ送付して処分した(以下、本件処分という)。

(二)  本件処分の処分事由

1 債権者甲野一郎は左記ないし、、の各行為を、同乙村二郎は左記ないしおよびの各行為を、同丙川三郎は左記ないしおよびの各判決を、同丁山四郎は左記ないしの各行為を、同戊原五郎は左記ないし、、、の各行為をした。本件処分は、債権者らが右のとおり各行為をしたことを理由とするものである。

昭和四八年五月二九日自治会室に不法に宿泊した行為(以下、の行為と略称)。

昭和四八年六月六日「仏陀会」開催に当り会場入口で座り込みを行い、学生および教職員の行事参加を妨げた行為(以下、の行為と略称)。

昭和四八年六月一四日「末広教授の哲学Bの授業」を妨害した行為(以下、の行為と略称)。

昭和四八年六月二一日「末広教授の哲学Bの授業」を妨害した行為(以下、の行為と略称)。

昭和四八年六月二一日「大学問題委員会、臨時全学協議会合同会議」の際に会議室廊下に座り込み、会議の進行を妨害した行為(以下、の行為と略称)。

昭和四八年六月二七日「教授会」開催中、会場に侵入しビラを配布して会議の進行を妨害した行為(以下、の行為と略称)。

昭和四八年一一月六日横山部長を事務室より拉致して拘束し、一〇三号教室に引き込んでなおも拘束状態を続行し、それにより同教室で授業中であった鎮西助教授の授業を妨害した行為(以下、の行為と略称)。

昭和四八年一一月六日事務室に侵入し器物を破損し、横山部長を拉致して拘束し、一〇三号教室に引き入れ、なおも拘束状態を続行し、それによって同教室で授業中であった鎮西助教授の授業を妨害した行為(以下、の行為と略称)。

昭和四八年一一月七日一〇三号教室で佐竹隆三教授の授業の全時間にわたって、同教授の意見を強要し、授業を妨害した行為(以下、の行為と略称)。

2 債権者らのないしの各行為の詳細は、次のとおりである。

(1)(の行為)昭和四八年五月二九日夜は、大正大学学生部長杉本昇誉が宿直に当っていたが、同夜〇時三〇分頃、大学構内を四名の者が歩いて行くので不審に思い、誰か構内に宿泊しているのではないかと問いただしたが、いないとの返事であった。念のため自治会室を見ると、室内には驚いたことにタンス、毛布などの家具類を初め、酒瓶などもころがって、裸電球はつけぱなしの有様で何者かが宿泊していることは明瞭なので、室内に入ると学生らしき者が三名いた。右学生部長は火災の危険もあるので直ちに右三名に退去を命じ、学生証の提示を要求したが、これに応じなかったので、学寮生立会いのもとに警察の派出所に同行を求めたところ、右三名のうち一名は債権者丙川であった。大正大学では校舎管理につき「、、、、学内施設を利用するときは予定日の一週間前に学生部に申し出て校舎利用許可願を総務部に提出してその許可を得なければならない」と定め、これは学生便覧にも掲げられているのであるが、債権者丙川外二名は何ら右許可を受ける手続もとらず、氏名まで黙否する有様であった。

(2)(の行為)昭和四八年六月六日午前一〇時より、大正大学体育館において「仏陀会」(大学における恒例の行事で一年間の大正大学教職員学生の物故者の追悼法要である)が開催された。そもそも、右仏陀会は法要であるから右関係者即ち物故者の遺族、来賓、教職員、学生らが参加し、しめやかに行わるべきところ、債権者甲野、同乙村、同丙川、同戊原を含む一部学生が、突然会式の二〇分程前から新館正面玄関前にアンプ、ラウドスピーカー、マイクなどを持出しアジ演説を開始した。債務者は構内放送を通じてアジ演説の中止を呼びかけたがこれを無視し、仏陀会開始時間になると会場である体育館に右債権者らを含む二〇数名の学生が集まり、携帯マイクを持出してアジ演説を行い、「仏陀会阻止」、「仏教教育体制粉砕」、「座り込み挙行」を呼びかけた。そのうち定刻午前一〇時になると債権者甲野、同乙村、同丙川、同丁山、同戊原らは会場の入口に集合し、アジ演説を行い、立看板を持出して入口を塞ぎ、指導的役割を演じつつ入口に座り込んだ。教職員および多くの学生は債権者らの暴挙を注意し、直ちに立退くよう呼びかけたが、債権者らは聞き入れずなおもアジ演説と座り込みを続行した。そして校旗、学長、学部長、遺族および来賓の列が会場入口に到着したが、そのとき債権者ら全員の暴挙を不満とする多数の学生は会場へはいるべく入口でこぜり合いを起し始めた。そこで教職員は混乱をさけるため直ちに体育館横の通用口から校旗、学長ら前記の参加者を、非常口から学生をそれぞれ誘導して会場に入場させて入口の混乱をくいとめたのである。そして式典が始まると債権者らを含むと思われる学生らは会場の入口のドアーをたたき、入口前で携帯マイクによるアジ演説を行い式典の静穏を妨害し続けていた。このような状勢が続いたため債務者は式典の終了時間を正午から三〇分繰上げの処置を行い、式が終了して学長が会場を出ようとすると会場入口でピケを張っていた債権者ら全員を含む者らは学長を人垣をつくって取り囲み、救出におもむいた教職員を近づけないようにして学長をこずきまわして口々に罵声をあびせ、「大学行事不当」を主張して回答を強要していた。これを見かねた一般学生が教職員に協力して学長を救出する有様であった。債権者ら全員を含む学生らはその後も新館前に立看板を立ててアジ演説を行い、債務者の中止の説得を無視して午後一時頃までシュプレヒコールを行い、インターナショナルを合唱するなどして気勢をあげていた。そのため仏陀会の妨害にとどまらず午後からの授業も一時中断するの止むなきに至るなど授業妨害までなされたのである。

(3)(の行為)昭和四八年六月一四日の第二時限目の末広教授の哲学Bの授業(二〇三号教室)の講義開始の直後である午前一〇時四五分頃、教室に赤ヘルメットをかぶり覆面した債権者ら全員を含む学生がはいりこみ、マイクを使用して講義中の末広教授を取り囲んだ。同教授は繰返して授業妨害であるから退室するように命じたにも拘らず、債権者らは携帯マイクでアジ演説を始めたので、受講中の学生は「帰れ帰れ。」と口々に叫んだ。この騒ぎを聞きつけて職員と共に同教室にかけつけた横山総務部長も債権者らに取り囲まれ、腕をかかえ込まれ、壁に押えつけられるなどの暴行を受けた。この間末広教授は債権者らに人垣をつくられ身体の自由を奪われていた。そして、債権者らは大声で「全学闘争委員会を認めよ。」「大衆団交要求。」などと口々に叫んでいた。このような状態で末広教授の授業時間は終了したが、依然として債権者らは横山部長と末広教授を拘束中であり、教室は混乱そのものであったため、自己と共に横山部長の身の危険を感じた末広教授は、この拘束を脱するため、次週の授業の一部をさいて債権者らの要求に対する大学当局の考えを回答すると述べ、ようやくその拘束を解いてもらった。このように末広教授と横山部長が拘束を解かれたのは午後一時頃であって、その間約二時間一五分もの間末広教授と横山部長は便所へも行けず疲労困憊していた。このため、同日午後一二時四〇分からの末広教授の歴史哲学の授業も休講の止むなきに至った。

(4)(の行為)昭和四八年六月二一日、末広教授は前回の約束に従って債権者らの要求に対する大学当局の回答することを拒否する旨の回答を伝え、哲学Bの授業を開始しようとしたところ、教室内でヘルメットをかぶり覆面などをした債権者ら全員を含む学生の一団が大声で騒ぎ出したので、末広教授は授業妨害であると四度にわたり申し渡し、債権者らに退去を命じたが、これを無視して債権者らは末広教授を取り巻き、約二〇分間その言動の自由を奪い教室内を混乱におとし入れた。通報により現場に行った横山総務部長も債権者らに強引に教室内につれ込まれ、壁に押しつけられたり突つかれたり蹴られるなどの乱暴を受けた。その間、あまりのひどさに末広教授を救出しようとした教室内の一般学生とこれを拒否する債権者らとのもみ合いとなり、末広教授は債権者らに腕や首をつかまれ教室内を引き廻されていたが、かけつけた職員と一般学生らによって救出されたのである。その時間は同日午前一一時四〇分頃で授業開始から約一時間が経過していた。末広教授は筋肉や骨に痛みを訴え吐気をもよおしたため約一時間にわたり休養せざるを得ず、午後の同教授担当の歴史哲学は休講となった。

(5)(の行為)昭和四八年六月二一日、午後三時三〇分より大正大学図書館二階の会議室で大学問題委員会臨時全学協議会合同会議が始まったのであるが、二〇分後の三時五〇分頃、赤ヘルメットに覆面をした債権者戊原を除く債権者ら全員を含む学生一〇名ぐらいが図書館二階へ上ってきた。そして会議室の入口の廊下に座り込み、ドアーをたたくなどの妨害行為をなしたため、騒音や会議内容の漏洩のおそれのため会議を中止せざるをえない状態となり、会議に出席していた教授職員はその日の午前中の末広教授、横山部長に対する暴行事件などからして、身の安全を図るため窓から脱出する有様であった。

(6)(の行為)昭和四八年六月二七日、午後三時三〇分から大正大学図書館二階の会議室で教授会が開催されたが、午後四時頃突然会場に六名の者が赤ヘルメットを着用して侵入した。その中の債権者甲野はビラを大声で読み上げるなどアジ演説をなし、同戊原、同丙川、同乙村らは会場にいる教授らにビラを配布するなどの行為をなし、さらに甲野は学長に対して「吾等の要求を宣言する。」などと放言をし、会場から出ていった。そのため議事は二〇分間にわたり中断し、会議の進行は著しく妨害された。

(7)(、の行為)昭和四八年一一月六日、正午頃横山総務部長が事務室で執務しているとき、ヘルメットをかぶり覆面した一〇名ぐらいの者が事務室内の学生部窓口のカウンターのところで何か騒ぎ出したと感じた直後、学生の無断入室を禁じている事務室の方へ侵入した債権者甲野が横山部長の机の前にかけより「外に出ろ。」とどなった。そして机の前から同部長の腕をつかんで引き出した。そこに債権者戊原が飛び出して来て、右両名で同部長の両腕をはがいじめに抱きかかえるようにして戸口まで引きずって行った。そのため火のついたストーブが倒され、内部のスケルトンが付近にちらばり部屋のカーペットが焼けるし、湯がまきちらされたりしたため火は消え、ガスは出っぱなしの状態であった。そこで既に事務室内にはいっていた債権者乙村、同丙川ら数名は同部長を包囲し、かかえ出すようにして事務室から図書館前の通路を通り、校庭に出て新館前までつれ出して同部長を拉致した。新館前で右債権者を含む学生らは同部長に対して「なぜ局長は出てこない、学生部長はどこだ、お前も回答の内容を知っているだろう。」などと詰問し、債権者戊原はマイクを突きつけて回答を要求した。そのうち、同部長の両腕を申請外Aと同Bがかかえ込み、その自由を拘束しておいて、債権者乙村は同部長を突きとばし、玄関の立看板に押しつけたり、その他の者はつぎつぎに同部長の腹部を突いたり、足を蹴とばしたりした。その騒ぎは二時間にわたった。そのうちに新館前に一般学生が集って来たので、右債権者らは横山部長を強引に新館一〇三号室につれ込んだ。そこでは鎮西助教授が授業中であったが、右債権者らがそこになだれこんだため授業が妨害された。一〇分間ぐらいして、右債権者らの暴挙に怒った受講中の学生によって右債権者らは廊下に押し出された。それから横山部長は右債権者らに新館内から校庭につれ出され、引きずられながら本館事務室前まで来た。これまで身の危険を感じつつ脱出の機会をうかがっていた同部長は、ようやくここで総務室に逃げこみ難をのがれた。

(8)(の行為)昭和四八年一一月七日、午後〇時四〇分頃佐竹教授が一〇三号教室において心理学の講義を始めようとしたとき、ヘルメットをかぶりタオルで覆面をした債権者丁山を除いたその余の債権者全員を含む一〇人くらいの学生が右教室に侵入し、同教授を取り囲み「授業料値上げをどう思うか見解を述べろ。」と詰めより返答を強要し、同教授の授業を続行したいとの希望を無視して悪口雑言の限りをつくした。講義用のマイクも取り上げられてしまったので、同教授は沈黙したまま約一時間四〇分経過し授業は全く行うことができなかった。

3 債権者らの前示行為は、学校教育法施行規則第一三条、債務者制定の大正大学学則(以下、単に学則ということがある)第四四条四号にいう「学校の秩序を乱しその他学生としての本分に反した」ものに該当するものである。

(三)  本件処分に至った経過ないし手続

1 大正大学学則第四三条には「本学に在学する者で本学の学則および規則に反し、または学生の本分はもとより本学の名誉を毀損する行為ある者および成業の見込みのない者は教授会の議を経て学長はこれを懲戒する。」との、同第四四条には「懲戒は譴責、謹慎、停学および退学とする。ただし退学は次の各号の一に該当するものについておこなう。1、性行不良で改善の見込みがないと認められる者。2、学力劣等で成業の見込みがないと認められる者。3、正当の理由がなくて出席常でない者。4、学校の秩序を乱しその他学生として本分に反した者。」との各定めがあり、また右学則の付属規定である懲戒に関する細則第四条によれば、「学生の懲戒手続を次のとおり定める。1、教職員は学生に秩序違反と認むべき行為を発見し、またはその旨の通報を受けたときは、速かに学生部長に報告しなければならない。2、学生部長はその旨を学長に報告し、学長はその当該事件に関する事実の調査を綱紀委員会に委嘱する。3、綱紀委員会は事実の調査をしたのち、その結果を学長に報告する。4、綱紀委員会の意見が学生を懲戒に処すべき趣旨であるとき学長はこれを教授会に諮る。5、教授会はこれを議し、必要に応じ審議委員会を設ける。6、審議委員会は当該事件の調査ならびに審査をなし、その結果を教授会に報告しなければならない。7、学生を懲戒に付するを相当とするときは、事前に本人に弁明の機会を与えなければならない。ただし相当の理由がある場合はこの限りでない。8、学長は審議委員会の報告に基づき処分を決定する。9、学長は懲戒につき主文およびその理由を付した通告書を作成し、これを本人ならびに正保証人に送付しなければならない。10、懲戒処分の期間中の指導連絡には審議委員があたる。」との、同三条には「学則第四四条の懲戒の内容を次の通り定める。1、譴責は将来を戒め誓約書を提出させる。2、謹慎は二〇日以内の日を定めて自宅において謹慎させる。3、停学は二一日以上一ヶ年以内の日を定め期間中は自宅において謹慎させその間は学生としての次の権利を停止し、または事務の取扱いをしない。① 在学証明書以外の証明書の請求 ② 大学構内および大学学寮内の立入り ③ 奨学金関係の事務取扱い。4、退学は懲戒退学とする。5、懲戒の期間は告示の日から起算する。」との各定めがある。

2 債権者らに対する本件処分は、右学則の定めるところに従ってなされたものである。すなわち

(1) 昭和四八年五月二九日の債権者丙川を含む大正大学生による自治会室不法宿泊事件(の行為)が発生したことを重視した債務者は、同年六月五日臨時全学協議会(学長、学部長、教授会代表、事務部長を構成員とする臨時の協議機関)を開催し、杉本学生部長より事実の詳細の報告がなされ、これをもとに協議がなされた結果、この事件をこのまま放置せず事実関係を全学生に対して明らかにするとにもに、大学の立場を明確にするため文書を配布することを決議し、これに基づいて六月六日「学生諸君へ」と題する文書および「大正大学全学生諸君に告げる」と題する文書が発行され全学生に配布された。

(2) その後同年六月六日の仏陀会妨害事件(の行為)同月一四日の末広教授授業妨害事件(の行為)が発生したので、債務者は同年六月一五日再度臨時全学協議会を開催協議した結果、(一)債権者が構成員らしい「全学闘争委員会」という組織不明の団体らしきものからの要求に対しては大学として正式回答はしない、(二)一般学生に対しては文書等により大学の方針を説明する、との基本方針を決定した。

(3) 一方、六月二〇日に臨時教授会が開催され、前記の三事件の事実関係および経過の報告がなされた後、教授会として前記臨時全学協議会の基本方針が確認され、さらに事件関係学生に対してなんらかの処置がとられるべきであることも決定された。

(4) 六月二一日、債務者は左の告示を学内掲示板に掲示、学生の注意を喚起した。すなわち、「最近一部の過激学生によって授業妨害が行われていることはまことに遺憾である。かかる行為に対して大学は毅然たる態度で処置するものであることをここに警告する。」

(5) 右同日末広教授が前記教授会確認の線に沿って学生らに債務者の立場を説明したところ同教授の授業が再度妨害された(の行為)。

(6) 右同日午後、臨時全学協議会および大学問題委員会(大正大学教授会規定に基づく特別委員会)の合同会議が開催され、同日の末広教授の授業妨害事件につき同教授の報告を求め、これに対する対策を協議し、前記各事件に関係した学生の処分につき事実の調査を学長より綱紀委員会に委嘱することとした。この会議中に債権者らによっての行為がなされ会議の続行が不可能となった。

(7) 右合同会議後も、六月二七日に教授会妨害事件(の行為)が発生し、同月二九日には「本山デモ」と称し、債務者の設立宗派の一つである浄土宗本山増上寺にデモが計画される等、過激学生の行動はますます激しくなるばかりであったが、このような状勢のもとに、七月四日に綱紀委員会が開催され、各事件の関係者が出席して各事実の確認が慎重になされ、諸般の事情を斟酌して懲戒相当の意見を文書で学長に答申することを決定し、同日答申書を学長に提出した。

(8) 夏期休暇明けの九月二六日教授会が開催され、学長より綱紀委員会の答申結果が教授会に諮問されたので、教授会は慎重を期して審議委員会を設け、同委員会で審議することにした。

(9) 債務者は、事件に加担した学生について右のように調査するのみならず、一〇月一七日別に臨時全学協議会を開催し、学長より「全学闘」問題につき教授会の分科会である厚生指導委員会に対処方法を諮問することを決定し、事件の解決に適切な処置をなすべく努力を傾倒した。右の厚生指導委員会は大正大学教授会分科会委員会規定によれば、学生の厚生指導に関する事項、学生の賞罰に関する事項その他について協議することを目的とする委員会であって、学生に対し、教育的、指導的立場からのアプローチの可能な組織である。この一事からも債務者が教育的立場からの学生に対する説得に努力をしていたことが明らかである。

(10) 一〇月一八日、審議委員会は審議方法を検討し、審議の対象となった一七名の学生らにつき、事実の慎重な確認のために学生らに弁明の機会を与えることとし、研究室単位に主任、副主任が個別的に学生に会うこととし、一方学業成績、単位履修状況等の調査も行い総合的に処分の適否を判定することとした。そして一〇月三一日の審議委員会においては、学生らとの個別接触を持ち得た教授らの結果報告があったが、債権者らからは真摯な弁明は聞かれなかったことが判明した。

(11) このような状況のもとで、一一月六日の事務室侵入器物損壊、横山部長拉致拘束致傷、鎮西助教授授業妨害事件(、の行為)が、翌七日には佐竹教授授業妨害事件(の行為)が発生し、処分対象学生に何らの反省の気配のないことがますます明らかになった。そこで、債務者は同月六日臨時全学協議会を開催し、過激学生に対する警告文を告示し、一般学生には文書を配布すること、の行為以後に発生した各事件については学長より綱紀委員会に調査を諮問することとした。

(12) 同月八日、綱紀委員会は慎重に事実を調査の上、処分相当の意見を学長に答申した。同月一四日、臨時教授会が開催され、学長より諮問された綱紀委員会の答申の取扱いは審議委員会を設けて審議することとした。

(13) 同月一五日、学長は大正大学校庭において学生ら五〇余名と対話をし、大学の見解を説明するとともに学生らの意見を聴取した結果、過激学生の要求はあくまで極く一部の者の極論にすぎず、一般学生の総意とは全くかけはなれたものであることが明らかになった。

(14) 審議委員会は一一月二一日、二八日の両日開催され慎重審議の結果、諮問事項が二回にわたり関係学生も多数であることもあり、綱紀委員会と合同委員会を開いて協議することを決め、一二月三日右合同委員会が開催された。同月五日、合同委員会は最終的に事実関係の確認を終り、最終的な弁明の機会を文書で与えることを決めた。

(15) この結果、一二月七日、債権者ら全員に対し各自の懲戒該当行為を示し、且つ弁明すべき事由があれば同月一五日までに文書によって弁明するよう求めた通知書が発せられ、そのころ送達され、債権者丁山を除く全員から弁明書が提出されたので、同月一九日、審議委員会はこれらを検討したうえ債権者らの行為は学則第四三条、第四四条四号に該当するものとし、債権者ら各自の前示行為における具体的行状その他諸般の事情を考慮して本件処分と同旨の処分原案を確定し、教授会に上程し、教授会は同日右処分案を承認し、これに基づき本件処分をなす旨の決定をした。

(16) 同月一九日、学校教育法第一一条により債権者らに対する懲戒権者たる大正大学学長は、右教授会の決定に基づき債権者ら全員に対し、処分結果を通知するとともにこれを校内に告示した。

(四)  以上のとおりなので、債権者らに対する懲戒処分としての本件処分は、実質的にも手続的にも、適法有効のものであり、したがって債権者甲野、同乙村および同丙川は、本件処分のなされた昭和四八年一二月一九日限り大正大学の学生たる地位を失ったものであり、債権者丁山および同戊原は、大正大学の学生ではあるが、今なお停学させられているものである。

四  抗弁に対する答弁

(一)  抗弁(一)の事実は認める。

(二)1  抗弁(二)1の事実については、債務者が本件処分をした理由が債務者主張のとおりであったことは認めるが、その余は否認する。

2(1)  抗弁(二)2の事実中(1)(の行為についての主張)について

債務者主張の事実中、債務者主張の日の夜、自治会室々内にタンス、毛布、酒瓶があったこと、裸電球がついていたこと、債権者丙川外二名の学生が室内にいたこと、右三名が警察の派出所に同行を求められたことは認め、杉本学生部長が右三名に退去を命じ学生証の提示を要求したことは否認し、大正大学の校舎管理について債務者主張のような定めがあること、その定めが大正大学学生便覧に掲げられていることについては不知。

この事件は、昭和四八年五月下旬頃、学生らがサークル活動の一環として、または実質的な自治会活動の一環として、一般学生に訴える趣旨で作成し、プレハブの自治会室に保管しておいた立看板が、大学当局が学内の活動の制限時間としている午後七時以降に、何者かによりめちゃめちゃに破壊されるという事件が相次いだので、学生ら有志は再三にわたりかかる事実のあったことを大学当局に報告するとともに、当局の善処を要求し、その責任について問い質したが常に黙殺され、やむなく同年五月二九日、債権者丙川と申請外C外一名が右プレハブ自治会室に居残り、犯人をつきとめようとしたものであるから不法に宿泊したものということはできない。また校舎利用許可手続を要する学内施設は教室、講堂等に限られ、自治会室、サークル室等はメンバーが許可を要せず使用しうるはずのものである。

(2) 抗弁(二)2の事実中(2)(の行為についての主張)について

債務者主張の日時に体育館で「仏陀会」が催されたこと、「仏陀会」の目的、その参加者は債務者主張のとおりであったことは認めるが、その余は否認する。

大正大学においては、大学公認の自治会が、大学当局の弾圧によってつぶされたため、以後研究室自治会(室友会)代表による連絡会議や有志学生らの集まりが実質的な自治会の役割を果たしている。学生らはこれを通じて大学に公開質問状、話い合い要求書などの書面を提出して、大学が自治会に対して執った態度、図書館の使用方法の問題、大学の経理不正問題、各クラブに対する援助会の問題、学費値上げ問題等について明らかにするよう求めて来たが、大学側は常に黙殺してきた。それに加えて立看板破壊や、前記の行為で学生が警察の派出所に連行される事件などが起こったので、学生らはこれらの措置に対する大学側の説明を求めたが、大学側は代表者に会おうとしないばかりか学生との窓口である杉本学生部長はいつも不在であった。ちょうどその頃、同年六月六日、「仏陀会」が行なわれることになった。これには例年学長以下大学側の責任者が出席するので、債権者全員を含む学生らは大学責任者に会おうとして、「仏陀会」が行なわれる会場の正面右側出入口付近で待っていたが、学長ら責任者は他の出入口から入ったため、会うことはできなかった。債権者らが待っていた出入口から会場に入った僧侶等もいたが、債権者らはそれを妨害したこともなく、右行事は滞りなく開会し終了したのであって、学生および教職員の行事参加を妨害したような事実は全くない。

(3) 抗弁(二)2の事実中(3)(の行為についての主張)について

債務者主張の事実はすべて否認する。

前述のように、平素大学当局は、学生らの意向を無視し、学生らとの話し合いを一切拒否したため、債権者丙川、同戊原を除く債権者ら全員は、債権者らと志を同じくする他の学生と共に、事務局長として、大学の管理運営等について最も詳しく、また、その権限をもっている末広教授に対して授業時間の一部を割いてもらい、従来学生らが大学当局に要求していた事項について同教授の説明をもらおうとして同教授の了解を求めたところ、同教授も快くこれに応じ、授業を中止して学生との対話集会にしてくれたものであって、債権者らが一方的に授業を妨害したというようなものではなかった。これが六月一四日の「授業妨害」といわれている事件の実情である。なお、末広教授は、集会終了時に六月二一日の哲学Bの授業の時間に再度学生らと話合う機会をつくり、その際誠意をもって回答する旨約束した。また、債権者丙川、同戊原はいずれも右末広教授の時間中、下宿にいて教室にははいっていない。

(4) 抗弁(二)2の事実中(4)(の行為についての主張)について

債務者主張の事実中、末広教授が債権者らに二〇三号教室からの退去を命じたこと、同教授の退室時刻が午前一一時四〇分頃であったことは認め、その余は否認する。

昭和四八年六月二一日の末広教授の「哲学B」の授業時間については、右(3)で述べたとおり、六月一四日に末広教授が学生らに対し授業を対話集会という形にし、同教授と学生らとの間で話合いを行なうとともに、事務局長として学生らの質問に対して誠意をもって回答するとの約束がなされていた。そこで、学内の諸問題に関心をもつ債権者全員を含む約三〇〇名の学生らは末広教授との話合いと同教授の回答に期待しつつ二〇三号教室に集って同教授が来るのを待っていた。末広教授は定刻をやや過ぎて入室したが、その直前に教室の両側後側および廊下には二、三〇名の右翼の体育系学生らが位置し、廊下にいた者の中には木刀を持った者すらいるような不穏な状勢となった。末広教授が入室する頃にはこれら体育系学生らの中に横山総務部長、杉本学生部長らがはいり、これらの学生を指揮する様子であった。末広教授は教室にはいって来て、学生らの質問、要求に対して回答できない旨を学生らに告げた。末広教授の約束違反に対し、数名の学生が抗議しようとすると、木刀を持った者を含む十数名の学生がつめ寄ってきて発言しようとした学生におそいかかりつきとばしたうえ、強引に末広教授を教室の外に連れ去ってしまった。以上が六月二一日の末広教授の「哲学B」の授業の際の実情であって授業妨害ということはできない。

(5) 抗弁(二)2の事実中(5)(の行為についての主張)について

債務者主張の事実中、大学問題委員会、臨時全学協議会合同会議が開催された日時、場所、午後三時五〇分頃債権者全員を含む学生一〇名ぐらいが図書館二階へ上って行ったこと、右学生らが会議室の入口の廊下に座り込んだこと、右会議室のドアをたたいたこと、学長ら出席者が窓から出たことは認めるが、その余は否認する。

大学問題委員会、臨時全学協議会合同会議の行われていた会議室の前の廊下の付近に債権者戊原を除く債権者ら全員を含む学生がいたが、それは同日(六月二一日)末広教授が「哲学B」の授業の際に学生と話合い、誠意ある回答をする約束になっていたにも拘らず、これを何の理由もなく一方的に破棄し、前述のような結果に終わってしまったので、前記債権者らを含む学生は、このような大学側のやり方に大いに失望するとともに強い憤りを感じたが、当日たまたま末広教授、横山総務部長ら大学側の責任者の出席する右会議が開かれることを知り、これらの人達が会議室から出て来た時に右約束違反に対して抗議するとともに、改めて話し合いの場を設けるよう要求しようとして会議室前にやって来て、これらの人達が出てくるのを待っていたに過ぎない。右債権者らを含む学生らは会議室へはいろうとする人を妨害したり、会議の開催、進行を妨げるような言動は一切行なっていないし、会議室へはいったり、はいろうとしたこともない。

(6) 抗弁(二)2の事実中(6)(の行為についての主張)について

債務者主張の事実中、教授会開催の日時、場所、午後四時頃債権者戊原、同乙村、同甲野が会場へはいりビラを配布したことは認めるが、その余は否認する。

この事件は、教授会にはかって貰いたいとの趣旨で学生らが大学の事務局に提出した要求書が事務局段階でストップしていて教授会にはかけられておらず、そのため教授らには全く知られていないことが杉本学生部長や数名の教授らの話から明らかになったため、債権者甲野、同乙村、同戊原を含む数名の学生が、教授らに直接要求書を届けようとして、教授会の行なわれる会場へ行き債権者甲野はまずあいさつをして「団交要求書」を学長に手渡し、「これを教授会で取上げて下さい。」と学長に要請したところ、学長はこれを確約してくれた。一方、他の債権者らは、そこにいた教授らに趣旨を理解して貰うため、債権者乙村、同戊原外一名がビラを配布したというものであり、その部屋にはいっていた時間はわずか二、三分に過ぎず、会議に支障を来たすようなことはなかった。なお、債権者丙川は、右当日午後三時四五分ごろから午後五時三〇分ごろまでの間、本館八号室において同人が所属している米英文学室友会の臨時総会に出席して、同会規約原案の審議の議長役をつとめており、したがって教授会会場にははいっていないものである。

(7) 抗弁(二)2の事実中(7)(、の行為についての主張)について

債務者主張の事実中、昭和四八年一一月六日正午頃横山総務部長が事務室で執務中、一〇名位の学生が事務室内の学生部窓口カウンター付近にいたこと、債権者甲野が同部長の机の前に行ったこと、火のついたストーブが倒れ、湯がまきちらされたりしたためストーブの火が消えたこと、債権者乙村が事務室内にはいっていたこと、同部長が事務室から図書館前の通路を通り校庭に出て新館前までつれ出されたこと、新館前で同部長が債務者の主張するような趣旨の質問を受けたこと、債権者戊原が同部長にマイクを差し出し回答を求めたこと、そのうちに新館前に一般学生が集まってきたこと、その後数名の学生が同部長と一緒に鎮西助教授が授業をしていた新館一〇三号教室にはいったこと、同部長が一〇三号教室を出たあと新館内から校庭、本館事務室前を経て総務室へはいったことは認めるがその余は否認する。

一一月六日は、一〇月一一日に事務局長末広教授がかねて学生らが大学当局に提出していた要求書に対して回答することを確約した日であった。そこで債権者甲野、同乙村、同戊原を含む学生らは、同教授の回答を聞こうとして大学の事務室に赴いたところ、同教授は不在であった。大学当局はこれまで何回もこのような形で学生らの要求をはぐらかしたりして不誠実な態度をとってきたため、平素より大学側の態度に不信感を抱いていた学生らのうち債権者甲野が、同室にいた横山総務部長に対し、カウンター越しに末広教授不在の理由や要求書に対して大学当局が回答するのか否か、するとしたらいつするのか等の質問をしていたが横山部長はこれを無視し続けた。そこで債権者甲野が出入口から室内にはいり横山総務部長の席近くまで行き右の事情に対する回答を求めた。これに対し、横山部長は、甲野の言葉を無視し、かえって「不法侵入だ、退室しろ。」と怒鳴り、席をたってどこかへ行く素振りをした。このような事態をカウンターをはさんで見ていた債権者戊原、同乙村他三、四名の学生が同部長のいる室内にはいり、同部長と向きあう格好で押問答を始めた。その際、右債権者らと共に事務室内にはいった学生のうち二人くらいの者が同部長の腕をひっぱりカウンターの方へ連れて行こうとすると、同部長は右学生らを事務室から出そうとして突きとばした。そのため突きとばされた学生らが後ろ向きの状態で近くに置いてあったガスストーブにつまずき、これが倒れた。学生らは、横山部長の回答を聞くことを希望する学生は多いのに、事務室は狭くて話し合いをするのは不適当なので、同部長に対し屋外の新館前で話し合うこと要求し、同部長はこれを了承した。債権者乙村、同戊原らを含む四、五名の学生と同部長は新館前に来た。そこで債権者丙川からマイクを受けとった同戊原と二、三名の学生は、同部長に対して末広教授不在の理由、大学当局は要求書に対して回答する意思はあるのか、あるとすればその時期は何時かなどの質問をした。これに対し同部長は、右マイクを持って笑いながら、「回答が出されているかどうかは知らない。知っていても君達には答えられない。」などと言って誠意のない態度に終始した。午後一時一〇分頃になって、新館前は次第に学生の数がふえ騒然としてきて会話が聞きとりにくくなったため、学生らは同部長に教室内で話し合おうと提案し、債権者戊原ほか二、三名の学生が同部長に同行して近くの新館一〇三号教室へ向ったが、これに一般学生や体育会系の学生が大勢取り巻いてついてきた。ところが、一〇三号教室へ入室してみると鎮西助教授が授業を行っている最中であった。そこで債権者戊原らは、すぐに教室を出ようとしたところ、債権者戊原らと一緒に入室していた一〇数名の体育系の学生が右戊原らをとりかこんで、あっという間に入室したときと同じ右教室前方のドアから教室外に押し出されてしまったので、右戊原らが同教室にいた時間はわずか二、三〇秒にすぎない。その後、同部長は債権者戊原ら、体育会系学生、その他一般学生に囲まれ一団となって新館を出て旧館前へ向ったが、同部長はすきをみて旧館内の総務室へ逃げ込んでしまった。

(8) 抗弁(二)2の事実中(8)(の行為についての主張)について

債務者主張の事実中、債権者丁山を除いたその余の債権者全員がヘルメットをかぶり、債権者丙川、同戊原を除く債権者が覆面をしていたこと、債権者らのうち一部の者が佐竹教授に対して授業料値上げに関する意見を求めたことは認めるが、その余は否認する。

債権者全員は、一一月六日に教授会から学費値上げに関する説明会開催要求に対する回答が出ることになっていたところ、七日になっても何の回答もなかったため、教授会の一員である佐竹教授から右回答要求についての教授会における審議内容とその結論をきく目的で午後〇時五〇分頃一〇三号教室へ赴いた。債権者甲野、同乙村が教壇下に立ち携行したマイクを使って同教授に質問をし、他の債権者らは教室の前後のドアー付近にいてこの話合いを見守っていた。同教授と学生らとの話合いは平穏のうちに行われ、話合いがある程度進んだ時点で佐竹教授は休講を宣し、学生らの要望をいれたものである。債権者らが教室を出たのは午後二時頃で、その間約一時間一〇分くらいの間受講生は債権者甲野らの言動を阻止することもなく熱心に同人らと同教授の話し合いに聞き入っていた。

(三)  抗弁(三)の事実についてはすべて不知。

(四)  抗弁(四)は、争う。

第三疎明関係≪省略≫

理由

第一  本件争いある権利関係について判断する。

一  申請の理由(一)1の事実(債権者らが、その主張の当時、大正大学の学生として、その主張のとおりの学部、学科、学年に在学したこと)は、当事者間に争いがないが、債権者甲野、同乙村および同丙川が、現に大正大学の学生たる地位を有するや否や、また債務者丁山および同戊原が、現に、大正大学の停学処分を受けていない学生たる地位を有するか否かにつき、当事者間に争いの存することは、弁論の全趣旨によって明らかである。

二  そこで債務者の抗弁について考察する。

(一)  抗弁(一)の事実(本件処分の存在)は、当事者間に争いがない。

(二)  抗弁(二)の事実(本件処分事由)の有無について考えてみる。

1 債権者甲野に対する本件処分は、同債権者が、債務者主張のないし、、の各行為をしたことを事由とするものであり、債権者乙村に対する本件処分は、同債権者が債務者主張のないしおよびの各行為をしたことを事由とするものであり、債権者丙川に対する本件処分は、同債権者が債務者主張のないしおよびの各行為をしたことを事由とするものであり、債務者丁山に対する本件処分は、同債権者が債務者主張のないしの各行為をしたことを事由とするものであり、債務者戊原に対する本件処分は、同債権者が債務者主張のないし、、およびの各行為をしたことを理由とするものであることは、当事者間に争いがない。

2 そこで債権者らが果して本件処分の事由とされた行為をなしたか否かを検討してみる。

(1) 債権者丙川のの行為すなわち昭和四八年五月二九日自治会室に不法に宿泊した行為について

まず、昭和四八年五月二九日の深夜、自治会室々内にタンス、毛布、酒瓶があったこと、裸電球がついていたこと、債権者丙川外二名の学生が右室内にいたこと、右三名が警察の派出所に同行を求められたことは当事者間に争いがない。

≪証拠省略≫によると、次の事実が一応認められる。すなわち、昭和四八年五月二九日夜は、債務者大正大学学生部長杉本昇誉が宿直にあたっていたが、翌三〇日午前〇時三〇分頃、大学構内を四名の学生が話しながら校門からプレハブの通称自治会室の建物の方へ行くのを発見した。右杉本部長が不審に思って見ていると、右四名の学生が帰って来るので、同部長が右四名の学生に大学構内に宿泊している者があるのかどうかたずねると、いないという返事であった。しかし、様子が変なので不審に思った同部長が寮生を同行してプレハブ自治会室へ行ってみると、学生とおぼしき者が三名いたので学生証の提示を要求したところ、持っていないと答えた。同部長は右三名の者の身分が不明なので、不法侵入であると宣言して右三名に学外に退去を命じ、交番に同行を求めた。交番で右三名の者は大正大学学生の債権者丙川、申請外C、同Eであることが判明した。また、≪証拠省略≫によると大正大学では校舎管理について「クラブ活動等の学生団体が集会、催物などで学内施設を利用するときは、開催予定日の一週間前に学生部に申し出て「校舎使用許可願」「集会届」に必要事項を記入して許可を受けてから、総務部に提出する。」と定めており、この定めを学生便覧に掲げて全学生に周知せしめていたことが認められ、≪証拠省略≫によると大正大学学生自治会は昭和四八年五月当時存在していなかったこと、自治会室と称する部屋はサークル室でなく自治会役員室であるから、自治会が存在しておらず、従ってその役員が存在していないときは一部学生の自由に使用できるものでないこと、昭和四八年五月二九日の夜の宿泊について債権者丙川外二名は自治会室使用の許可を得ていなかったこと、以上の事実が一応認められ、これを覆すに足りる疎明資料はない。そうすると、債権者丙川外二名の本件宿泊行為は大正大学の校舎管理についての前記の定めに違反したものといわなければならない。この点について、債権者丙川は、昭和四八年五月下旬ごろ、学生らがサークル活動の一環として、または実質的な自治会活動の一環として、一般学生に訴える趣旨で作成し、プレハブの自治会室に保管しておいた立看板が学内の活動の制限時間としている午後七時以降に、何者かにより破壊される事件が相次いだので、大学当局に善処を要求したが黙殺されたため、やむをえず債権者丙川外二名が犯人をつきとめようとして宿泊したものであるから不法な宿泊でないと主張するが、仮に右主張のような目的で宿泊したとしても所要の許可を得ずになされた本件宿泊行為が校舎管理についての前記の定めに違反するものであることにかわりはないから、右主張は採り得ない。

(2) 債権者ら全員のの行為すなわち昭和四八年六月六日「仏陀会」開催に当り会場入口で座り込みを行い学生および教職員の行事参加を妨げた行為について

まず、「仏陀会」が大正大学における恒例の行事で一年間の大正大学教職員学生の物故者の追悼法要であること、「仏陀会」の参加者が物故者の遺族、来賓、教職員、学生らであることは当事者間に争いがない。

≪証拠省略≫によると、次の事実が一応認められる。

昭和四八年六月六日午前一〇時より、大正大学体育館において「仏陀会」が行なわれることになっていたところ、午前九時四〇分頃、新館玄関前にアンプ、ラウドスピーカーを持ち出して、赤ヘルメットをかぶった債権者甲野、無帽の申請外Fが交代でマイクを手にしてアジ演説を開始し、そのまわりには約一〇名の者が集まっていた。午前一〇時五分前頃、右Fを除く者は二〇数名の一団となって「仏陀会」会場である体育館玄関に集まり、債権者甲野、同丙川は携帯マイクを使用して交代で「仏陀会粉砕」「仏教々育体制粉砕」を叫びつつアジ演説を行い、「仏陀会」を阻止するため体育館入口へのすわり込みを呼びかけた。また債権者丁山、同乙村、同戊原、申請外C、同G、同H、同Iらは、幅約二メートル、長さ約四・五メートルぐらいの大きな立看板を数枚持ち出してきて体育館の玄関に立てて入口をふさいだ。午前一〇時一〇分頃、校旗、学長、学部長、来賓による式典の行列が本館の玄関前にあらわれると、前記二〇数名の学生は体育館玄関前にすわりこんだ。このため玄関からはいろうとする学生とすわりこんでいる学生たちとの間にこぜりあいが始まったので、大学側によって混乱をさけるために体育館横の通用口がひらかれ、校旗、学長、来賓はそこから入場し、また体育館左すみの非常口が開かれ、学生と教員はそこから入場しなければならなかった。午前一〇時二〇分頃から式典は始まったが、その間前記二〇数名の学生らは玄関入口のドアーをたたいたり、マイクを使用してアジ演説を行っていたので式典の静穏は妨害された。このように式典の状況が不穏なので、大学側は式典の式次第を一部変更し、終了時間を予定の正午から三〇分くりあげることとし、校旗の退場の行事は中止し、式典参加者は各自で退場することにした。午前一一時四五分頃、式典終了後学長が会場から出ると、会場入口ですわりこみをしていた債権者ら全員を含む学生らは学長を取り囲み、口々に罵声を発して「大衆団交について」「公開質問状について」「仏陀会について」「立看板について」等の回答を強要した。見かねた一般学生と教職員との協力で学長をようやく救出して本館に送り込んだ。その後も債権者らは、新館前に立看板を立て、アジ演説を行い債務者の中止するようにとの説得を無視して、午後一時頃までシュプレヒコールを叫びインターナショナルの歌を高唱していたので午後からの授業も中断されたものもあった。≪証拠判断省略≫

(3) 債権者ら全員のの行為すなわち昭和四八年六月一四日末広教授の哲学Bの授業を妨害した行為について

≪証拠省略≫によると、次の事実が一応認められる。

昭和四八年六月一四日午前一〇時四〇分から、新館二〇三号教室で末広教授の哲学Bの授業が始まったが、開始直後の一〇時四五分頃、赤ヘルメットをかぶり覆面をした者を含む学生ら一〇名が教室内に乱入してきて末広教授を取り囲んだ。右学生らの中には債権者ら全員も含まれており、講義中の末広教授が再三にわたり授業妨害であるから退去するように命じたのを無視して、ハンドマイクを使用してアジ演説を開始し、末広教授に対し「全学闘争委員会を認めよ。」とか、「大衆団交を実現せよ。」などと要求した。受講中の一般学生が「帰れ、帰れ。」と叫び出したので教室内は騒然となっていたが、騒ぎをきいて厚生部の神保主事、ついで横山総務部長が教室内にはいってきた。同部長は末広教授に対し授業を行う意志があるのかどうかたずねたところ、末広教授は「早く騒ぎを静めて授業を行いたい。」旨答えたので、同部長は債権者らに授業妨害を止めて退去するように説得したが、債権者らはこれを聞きいれず、同部長に対し「われわれの全学闘を交渉団体と認めろ。」「大衆団交に応ぜよ。」などと強要し、同部長を教室の壁に押しつけたり、腕をかかえり、胸をこずいたりした。一方、末広教授も取り囲まれて身体の自由をうばわれていたが、午前一一時四〇分頃になってしまったので、仕方なく授業を中止せざるをえなかった。しかし、授業終了時刻である午前一一時五五分を過ぎても拘束は解かれず、債権者らは末広教授、横山部長に回答をせまった。そこで、自己と共に横山部長の健康状態を心配した末広教授は、拘束を免れるため次週の授業の一部をさいて回答する旨約束してようやく午後一時頃拘束を脱することができた。しかしながら、末広教授は二時間余にわたる拘束によって疲労困憊したため、同日午後〇時四〇分から行われる予定であった歴史哲学の授業をすることができず、休講とせざるをえなかった。

債権者丙川、同戊原は、右の授業妨害には参加しておらず、授業時間中は下宿にいた旨主張するが、右主張に符合する≪証拠省略≫は前顕証拠に照し直ちに信用することができないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(4) 債権者ら全員のの行為すなわち昭和四八年六月二一日末広教授の哲学Bの授業を妨害した行為について

≪証拠省略≫によれば次の事実が一応認められる。

昭和四八年六月二一日末広教授の「哲学B」の授業は午前一〇時四〇分頃から始まったが、その冒頭において末広教授は、その前日に教授会が決定した方針に添って、前の週の六月一四日の約束に基く回答として「債権者らの要求に対し大学は回答できない」旨伝え、授業を開始しようとしたところ、債権者全員とその仲間の学生らが大声で騒ぎ出した。末広教授は数回授業妨害であるから退去するように命じたが(同教授が債権者らに退去を命じたことについては当事者間に争いがない)債権者らはこれを無視して末広教授を取り囲み自由を拘束したので、授業をすることは不可能な状態になった。午前一一時頃、騒ぎを聞いた横山総務部長が二〇三号教室の入口付近に来たが、債権者乙村、同戊原ら四、五人によって教室内に強引に引きこまれ、壁に押しつけられたり突かれたり蹴られるなどの乱暴を受けた。このような状態が約三〇分間継続していたが、見かねた一般学生のうち数名が債権者らに乱暴をやめるよう叫んで末広教授の方へ行くと、債務者らは末広教授をとられまいとして、一般学生ともみ合いになった。午前一一時四〇分頃末広教授は一般学生らによって前部ドアーより教室外に救出された(同教授の退室時刻が午前一一時四〇分頃であることについては当事者間に争いがない)。また横山部長も同じ頃同様に一般学生らによって後部ドアーより教室外に救出された。末広教授は教員室へ戻ってからも筋肉や骨に痛みを覚え、また吐気を訴えたのでその後一時間休養していたが、同日午後の同教授の歴史哲学の授業は休講にせざるをえなかった。≪証拠判断省略≫

(5) 債権者甲野、同乙村、同丙川、同丁山のの行為すなわち昭和四八年六月二一日大学問題委員会、臨時全学協議会合同会議の際会議室廊下にすわりこみ会議の進行を妨害した行為について

まず、大学問題委員会、臨時全学協議会合同会議が開催された日時が昭和四八年六月二一日午後三時三〇分であり、右開催場所が大正大学図書館二階の会議室であること、会議の始まった二〇分後の三時五〇分頃債権者戊原を除く債権者全員を含む学生約一〇名が図書館二階に上ってきたこと、右学生らが会議室の入口の廊下に座り込んだこと、右会議室のドアーをたたいたこと、学長ら出席者が窓から脱出したことは当事者間にいずれも争いがない。

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が一応認められる。

前記日時、場所で、学長以下一八名の委員が出席のうえ大学問題委員会、監時全学協議会合同会議が開かれてから、二〇分後の午後三時五〇分頃、赤ヘルメットをかぶり、覆面をした、債権者戊原を除く債権者全員を含む学生約一〇名が図書館二階会議室の前にやってきて大声をあげたり、ドアーをゆすったり、たたいたりして室内にはいりこもうとしたが、大学側が内側から鍵をかけたためはいることができず、廊下にすわりこみをしたりドアーをたたいたりした。このような騒ぎのため会議は終りの方になって審議未了の部分を残したまま中断された。そして会議に出席中の学長はじめ教授、職員の一部は債権者らが入口にすわりこんでいるので早急に身の安全を図るべく、会議室の窓から脱出し、図書館一階の屋根を通って本館へ二階の窓から入って、避難する状態であった。これを知った債権者らは全員すわりこみを止めて会議室前廊下から立ち去ったためようやく約三〇分以上たって騒ぎが収まった。≪証拠判断省略≫

(6) 債権者甲野、同乙村、同丙川、同戊原のの行為すなわち昭和四八年六月二七日教授会開催中、会場に侵入しビラを配布し、会議の進行を妨害した行為について

まず、教授会開催の日時が昭和四八年六月二七日午後三時三〇分であり、右開催場所が図書館二階会議室であったこと、午後四時頃債権者戊原、同乙村、同甲野が右教授会会場へはいりビラを配布したことは当事者間い争いがない。

≪証拠省略≫によると次の事実が一応認められる。

前記日時、場所において教授会が開催されたが、午後四時頃、突然会場に債権者甲野、同戊原、同乙村、同丙川、申請外H、同Gが侵入した。債権者甲野以外の者は赤ヘルメットをかぶり覆面をしていた。債権者甲野はビラを学長に手渡し、ビラを大声で朗読し「授業料値上げ反対」、「経理の全面公開」などとアジ演説を始め、他の者たちは教授会に出席していた者にビラを配布した。このようにして六、七分を経過した後右学生らは退場したが、このため教授会の議事は一時中断され、会場を整理するなどして会議が再び始められるまで約二〇分間にわたって議事進行が妨害された。

債権者丙川は、右当日午後三時四五分頃から午後五時三〇分頃までの間、本館八号室において同人が所属している米英文学室友会の臨時総会に出席してその議長をつとめていたので、教授会会場にははいっていないと主張し、債権者甲野、同丙川はその本人尋問において右主張に沿う供述をしているが、仮に米英文学室友会の右臨時総会が本館八号室で右当日の午後に開かれ、債権者丙川がそれに出席して議長をつとめた事実があったとしても、右臨時総会の開始時刻が午後三時四五分頃であったことを確認するに足りる疎明資料はなく(≪証拠省略≫には、そのいずれにも右臨時総会が午後三時四〇分から午後五時一〇分までの間に開かれた旨の供述記載があるが、右各供述記載は、あまりにも一致しすぎていて、却って心証を惹かない)、≪証拠省略≫を総合すると、教授会の行われた図書館二階会議室と本館八号室とは、歩いても数分とかからないような至近の距離関係にあることが認められるので、債権者丙川は、の行為に参加したのちに、その主張の臨時総会に出席したものと考える余地がないではなく、前顕証拠によれば、むしろそのように考えるのが相当のように一応認められるので、の行為はしていない旨の≪証拠省略≫は、にわかに措信し難い。他に右主張を裏付けるに足りる疎明資料はない。

(7) 債権者乙村、同丙川のの行為すなわち昭和四八年一一月六日横山部長を事務室より拉致して拘束し、一〇三号室に引き込んでなおも拘束状態を続行し、それによって同教室で授業中であった鎮西助教授の授業を妨害した行為および債権者甲野、同戊原のの行為すなわち昭和四八年一一月六日事務室に侵入し器物を破損し、横山部長を拉致して拘束し、一〇三号教室に引き入れ、なおも拘束状態を続行し、それによって同教室で授業中であった鎮西助教授の授業を妨害した行為について

まず、昭和四八年一一月六日正午頃、横山総務部長が事務室で執務しているとき、一〇名位の学生が事務室内の学生部窓口カウンター付近にいたこと、債権者甲野が同部長の机の前に行ったこと、火のついたストーブが倒れ湯がまきちらされたりしたためストーブの火が消えたこと、債権者乙村が事務室内にはいったこと、横山部長が事務室から図書館前の通路を通って校庭に出て新館前までつれ出されたこと、新館前で同部長が債権者の主張するような趣旨の質問を受けたこと、債権者戊原が同部長にマイクを差し出し回答を求めたこと、そのうちに新館前に一般学生が集まってきたこと、その後数名の学生が同部長とともに鎮西助教授が授業をしていた新館一〇三号教室にはいったこと、同部長が一〇三号教室を出たあと新館内から校庭、本館事務室前を経て総務室にはいったことはいずれも当事者間に争いがない。

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が一応認められる。

昭和四八年一一月六日正午頃、赤いヘルメットをかぶり覆面をした者を含む一〇名ぐらいの学生が、本館一階事務室内の学生部窓口のカウンターのところへ来て、そのうち一名の者が「事務局長(末広教授を指す)はいるか。」「杉本学生部長はいるか。」などと大声でどなった。まもなく事務室の教職員用出入口より債権者甲野が事務室内に侵入して来て、横山総務部長の机の前までくると同部長に対し「おまえ、外に出ろ。」とどなった。学生は事務室内に無断ではいることは禁じられているので、同部長は立ち上がって、「きみ無断ではいっては困る。ともかく出なさい。」と数回注意したにもかかわらず、債権者甲野は「外へ出て回答しろ。」などといって横山部長の言うことを無視しながら同部長に対し債権者らが、かねて大学側に提出してあった学費値上に関する説明会開催の要求書についての回答をせまった。そこで赤いヘルメットをかぶり覆面をした債権者戊原が教職員出入口より侵入して、同部長の机の前まで来て、横から同部長の腕をかかえるようにして立っているところから引き出そうとした。債権者甲野も同部長の腕をかかえるようとして債権者戊原と二人で同部長を教職員出入口のほうへ引っぱっていった。事務室内の教務部付近までくると、赤ヘルメット、覆面を着用した債権者乙村ほか五、六名がすでにはいってきていて、債権者甲野、同戊原を手伝って同部長を取り囲み事務室の外へ教職員出入口から連れ出した。この時、教務部と学生部の中間付近通路上にあった点火中のガスストーブが倒され、その上に乗っていたアルミの桶がひっくり返って熱湯がまき散らされ、ストーブのスゲルトンがこわれて散乱し、カーペットがこげ、火の消えたストーブからガスが吹き出していたが事務職員の処置で大事には至らなかった。一方、廊下に連れ出された横山部長はそこでさらに四、五人の学生らに取り囲まれ、前後左右から拘束されたまま本館廊下から図書館前の廊下を通って校庭に出て新館の玄関前に連行された。そこで債権者甲野、同乙村、同戊原、同丙川らを含む学生たちは、同部長を玄関に立てかけてあった五、六坪ぐらいの看板の前に立たせた。債権者戊原は同部長にマイクを突きつけて「どうして事務局長は来ないんだ。」「学生部長はどうしているんだ、どこにいるのだ。」などと詰問して回答をせまった。この時、同部長の腕は申請外、B、同Aによって拘束されており、他の者はそのまわりを取り囲んで叫んでいた。同部長が「私にはわからない。」と言っても、同部長を押したり突いたり立看板に押しつけたりの暴行を加えた。そのうちに新館前に一般学生が集ってきたので、午後一時頃、横山部長を拘束していた学生たちは、同部長を今度は新館一〇三号教室へ連れて行ったが、そこでは鎮西助教授が授業中であった。同助教授は「君達、授業中だから出て行ってくれ。」と言い、受講中の学生も「出て行け、出て行け。」と騒ぎ始めたので約一〇分ぐらいで廊下に押し出されたが、同部長を拘束していた学生たちは同部長を新館の前に再び連れて行きマイクを突きつけたりした。それから約一〇分して今度は本館の方へ連れて行って本館の中へはいった。そこで総務室内になんとかして逃げ込もうとする横山部長と同部長を逃がすまいとして拘束している者たちともみあいになった。やがて右学生らが同部長を二階に連行しようとして総務室の前まできたとき、同部長は満身の力をこめて総務室のドアーに体あたりして、同部長の肩をつかまえていた債権者乙村らともつれるようにして総務室内にころがり込んで午後二時四〇分ひとまず解放された。同部長は総務室にいた学長、学部長に事の経過の報告を済ませて約一〇分後室外へ出て保健室へ行こうとしたところ、そこで再び二〇名位の学生らに取り囲まれたため保健室へ行くことができず、やむなく応接室へ逃げ込み長椅子に横になって看護婦を呼んでもらった。そこへ、債権者甲野、同戊原ほか数名がはいってきて同部長の掛けている毛布をはいだりして、なおもしつこく回答を要求したが、一般学生によって応接室の外へ押し出された。以上の事実が一応認められる。≪証拠判断省略≫

(8) 債権者甲野、同乙村、同丙川、同戊原のの行為すなわち昭和四八年一一月七日一〇三号教室で佐竹隆三教授の授業の全時間にわたって同教授の意見を強要し、授業を妨害した行為について

≪証拠省略≫によれば、次の事実が一応認められる。

昭和四八年一一月七日午後〇時四〇分頃、新館一〇三号教室において佐竹隆三教授が心理学の講義を開始してまもなく、突然ヘルメットをかぶり覆面をした者を含む一〇数名の者が債権者甲野を先頭にして教室内に侵入し同教授を取り囲み「授業料値上げをどう思うか見解を述べろ。」とつめよって返答を強要した。右一〇数名の者の中には債権者乙村、同丙川、同戊原もいた(債権者甲野、同乙村、同丙川、同戊原がヘルメットをかぶり、債権者甲野、同乙村が覆面をしていたことおよび右債権者らのうち一部の者が佐竹教授に対して授業料値上に関する意見を求めたことは当事者間に争いがない)。同教授は「今は授業時間である。私は講義をしにこの教室に来たのであるから講義を続行する。無断で侵入してきた無礼な学生の問いに答える必要を認めない。」と述べ、講義を続行しようとしたが債権者らから講義用のマイクを取り上げられ、ボリュームを上げたハンドマイクで大声で妨害されたため講義をすることができなくなった。債権者甲野、同乙村の両名は悪口雑言の限りをつくして同教授を非難し、債権者戊原、同丙川、申請外G、同C、同H、同A、同Bらは交互に同教授に近寄り、軽蔑するような口調で同教授を非難し回答を強要した。午後二時一〇分に授業の終了時刻になったので、同教授が教室から出ようとすると、前記債権者らは同教授を取り囲み退出させなかったが、受講生らの協力でようやく次の授業が始まる頃に解放されて教室外に出ることができた。以上の事実が一応認められる。≪証拠判断省略≫

3 以上判示したところによれば、債権者らが、債務者が本件処分の事由として挙げている各行為をなしたことについては、疎明があるといわなければならない。そして債権者らのなした前判示の行為は、学校教育法施行規則第一三条三項四号、大正大学学則第四四条四号にいう「学校の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」(右学則における右条号に文言については、≪証拠省略≫によってこれを認めることができる)ものと一応認めざるを得ない。

(三)  抗弁(三)の事実(本件処分に至った経過ないし手続)について検討する。

1 ≪証拠省略≫によれば、大正大学学則および右学則の付属規定と認められる懲戒に関する細則には、債務者が抗弁(三)の1で主張のとおり定められていることが認められる。

2 債務者の抗弁(三)の2の主張について案ずるに、≪証拠省略≫によれば、次のとおり一応認められる。すなわち、

昭和四八年五月二九日の自治会室不法宿泊事件(の行為にかかる事件)が発生したとき、債務者は、同年六月五日、学長、学部長、教授会代表、事務部長を構成員とする臨時全学協議会を開催し、学生部長より事実の詳細の報告がなされ、これをもとに協議した結果、この事件をこのまま放置せず事実関係を全学生に対し明らかにするとともに、大学の立場を明確にするため文書を配布することが決議され、六月六日、「学生諸君へ」と題する文書および「大正大学全学生諸君に告げる」と題する文書がいずれも発行され全学生に配布された。同年六月六日「仏陀会」妨害事件(の行為にかかる事件)、同月一四日、末広教授授業妨害事件(の行為にかかる事件)が発生したので、同月一五日臨時全学協議会を開催した。同年六月二〇日には臨時教授会が開催され、右三事件の事実、経過の報告がなされ事件関係学生に対してなんらかの処置がとられるべきことが決定された。同年六月二一日、末広教授の授業が再度妨害された事件(の行為にかかる事件)が発生し、同日午後臨時全学協議会および大学問題委員会の合同会議が開催され、同日の末広教授授業妨害事件について末広教授の報告を求め、これに対する対策を協議した結果、前記各事件に関係した学生の処分等の事実調査を学長より綱紀委員会に委嘱することになった。同年七月四日綱紀委員会が開催され、各事件の関係者の出席を求め各事実の確認をしたうえ懲戒相当の意見を文書で学長に答申することを決定し、同月答申書を学長に提出した。同年九月二六日、教授会が開催され、学長より綱紀委員会の答申結果が教授会に諮問されたので、教授会は審議委員会を設けて審議することにした。同年一〇月一八日、審議委員会は審議方法を検討し、審議の対象となった一七名の学生に弁明の機会を付与するため研究室単位に主任、副主任が個別的に会うこととし、また学業成績、単位履修状況等の調査を行ない総合的に処分の適否を判定することとした。同年一〇月三一日、審議委員会が開催され、学生らとの個別接触をもち得た教授らの報告があった。同年一一月六日、事務室侵入器物損壊、横山部長拉致拘束致傷、鎮西助教授授業妨害事件(、の行為にかかる事件)が発生し、同日臨時全学協議会が開催され、ないしの行為にかかる各事件について学長より綱紀委員会に調査を委嘱した。同年一一月八日、綱紀委員会は処分相当の意見を学長に答申した。同年一一月一四日、臨時教授会が開催され、学長より諮問された綱紀委員会の右答申につき審議委員会を設けて審議することにした。同年一一月二一日、二八日両日審議委員会が開催され、審議の結果、諮問事項が二回にわたりかつ関係学生が多数であるため、綱紀委員会と合同委員会を開いて協議することに決定した。同年一二月三日、右合同委員会が開催され、同月五日、最終的に事実の確認を終了し、学生らに最終的な弁明の機会を文書で与えることを決定した。この結果、債権者ら全員に対し、同年一二月七日、「大正大学学則四十四条に関する通知」と題する書面を送り、債権者丁山を除く債権者全員から弁明書が提出された(因みに、右弁明書の趣旨は、いずれも前記債権者らの処分事由はすべて事実無根であり、債務者大学の各債権者に対する悪質な誹謗、中傷であり厳重に抗議する、というものであった)。同年一二月一九日、審議委員会は右弁明書を検討し、債権者らの行為は学校教育法施行規則第一三条、大正大学学則第四三条、第四四条四号に該当するものとし、債権者ら各自の前判示の行為における具体的行状その他諸般の事情を考慮して、本件処分と同旨の処分原案を作成してこれを教授会に報告し、教授会は同日右報告に基づき本件処分をなす旨決定した。そして、同年一二月一九日、学校教育法第一一条により、債権者らに対する懲戒権者たる大正大学学長福井康順は、右の教授会の決定に基づき債権者全員に対し通告書をもって本件処分を通知するとともにこれを校内に告示した。

3 以上のとおり認められるから、本件処分は、学則所定の手続を適式に履践してなされたものと認められる。

(四)  そこで本件処分の効力について考えてみる。

1 思うに、大学の学長が学校教育法第一一条、同法施行規則第一三条に基づき学生に対して行なう懲戒処分は、教育および研究の施設としての大学の内部規律を維持し、教育目的を達成するために認められる自律作用たる本質を有するものであって、懲戒権者たる学長が学生の行為に対して懲戒処分を発動するにあたり、その行為が懲戒に値いするものであるかどうか、また、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決するについては、当該行為の軽量のほか、本人の性格および平素の行状、右行為の他の学生に与える影響、懲戒処分の本人および他の学生に及ぼす訓戒的効果、右行為を不問に付した場合の一般的影響等諸般の要素を考慮する必要があり、これらの点の判断は、学内の事情に通暁し直接教育の衝にあたるものの合理的な裁量に任すのでなければ適切な結果を期しがたいことは、明らかである。したがって当該事案の諸事情を総合的に観察して、その懲戒処分の選択が社会通念上合理性を認めることができないようなものでない限り、同処分は、懲戒権者の裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を否定することはできないものというべきである(最高裁判所昭和四九年七月一九日第三小法廷判決、裁判所時報第六四八号一頁参照)。

2 そこで、右基準に則って債務者が前認定の事実に基づいてなした本件処分が社会通念上合理性を認めることができないようなものでないかどうかを検討する。

まず、≪証拠省略≫によると、債務者大正大学は、仏教精神に基づき、旧制大学令にもとづいて大正一四年文部省の認可を受け、大正一五年に開学した大学であり、はじめ浄土宗、天台宗、真言宗豊山派が設立母体であったが、後に真言宗智山派もこれに加わったこと、その創立の理念は、仏教精神に基づく人格の形成、仏教主義による教育、仏教の研究、人文科学、社会科学の研究と教育によって研究者、教育者、宗教者などの専門職を育てることであり、したがって大正大学は仏教的情操を重んじ智慧を愛し慈悲を実践していくことを念願して教育することをもって建学の理念としていることが認められる。次に≪証拠省略≫によれば、債権者らが本件処分の事由となった行為に出たのは、大正大学自治会が昭和四六年度後半期において学生自治会会則による役員改選を行わず、さらに昭和四七年度においても学生大会の成立をみなかったので自治会役員は全学生に承認されず、正規の自治会執行部は発足しなかったため、昭和四七年四月一日以降は、すでに任期の切れた前役員が引き続き自治会臨時執行部と称して活動してきたこと、これに対し大学当局は右臨時執行部なるものを学生自治会の執行部とは認めなかったこと、そのため右臨時執行部が大学に対して公開質問状を出して種々の質問を発しても大学側はこれに回答しなかったこと、そこで学生のうち約二〇名くらいの者で、大学当局を交渉の座に就かしめると共に学生自治会再建をはかるため全学闘争委員会なるものを結成したこと、債権者らはいずれも右全学闘争委員会の指導的あるいは有力なメンバーであること、しかし大学側が全学闘争委員会から出された学費の値上げ、学生食堂の食費の値上げ、自治会室に対する管理責任の所在等についての質問状や要求書に対しても何らの回答をしなかったこと、本件処分の原因となったないしの各行為は、全学闘争委員会のメンバーとしての債権者らが、右のような態度を執る大学当局を是が非でも交渉の座に就かせ、回答させようとして、これを敢てしたものであることが一応認められる。ところで、学生は大学における不可欠の構成員であり、学問を学び教育を受ける者として、その学園の環境や学費その他の就学条件の保持およびその改変につき重大な利害関係を有するものであるから、大学の運営について要望し、批判し、ときには反対することも当然にできるものというべきであり、学生の要望等が真摯な心情に基づき、且つ相当な方法でなされるものである限り、大学当局もこれに充分耳を傾けなければならないものと解される。したがって、債権者らが全学生のうちの極めて少数の者であるとはいえ、大学当局が債権者らの要求を全く取りあわない態度を執ったことについては、問題がないわけではなく、債権者らの前認定の各行為殊にないしの各行為については、その動機に関する限り、必ずしも不当なものということはできずその心情を理解しえなくはない。しかしながら、債権者らの前判示の各行為、殊にないし各行為は、実力ないし暴力をもって大学の重要な宗教的行事を妨害したり(の行為)あるいはヘルメットをかぶったり、覆面をしたりして授業妨害をして教授の身体的自由を拘束し、教授および一般聴講学生に多大の苦痛ないし迷惑をかけたり(、、、、の各行為)あるいは教授会その他の会議を妨害したり(、の各行為)、あるいは大学の総務部長を拉置拘束して回答を強要したり(、の各行為)等したものであって、そこには、目的のためには手段を選ばない態度が露骨に看取される。目的が正しければどんな手段をとってもよいものではないことはいうまでもない。凡そ学園における暴力的行為は、道義上許されないものであること当然であるのみならず、それは、ときには大学の自律作用を弱化させ若しくは崩壊させ、ときには外部からの干渉を招き、大学が真理の探求と最高の教育の府としての社会的使命を達成するために確保されなければならないいわゆる大学の自治を根底から揺がす虞れを生ぜしめるものであるから、学生といわず、大学関係者はすべてこれを厳に戒しめなければならないものと考えられる。しかも債務者大学は、前叙のとおり、仏教精神を教育の基本理念としている大学である。したがって債務者大学当局が、債権者らの暴力的な前示一連の行為を許し難いものとしたことは、充分に理解することができる。債権者らとしては、その意図した目的を達成するためには、まず民主的な方法で、すなわち大正大学の全学生の選挙で学生自治会の役員を選出して右自治会を再建し、これによって事を選ぶようにするという手段があった筈であるが、債権者らが真摯に右のような手段に出ようとした形跡はなく、弁論の全趣旨によると、債権者らの全学闘争委員会は、一般学生から遊離して独走したのではないかと思われる節が多々存する。以上認定の事実に≪証拠省略≫を総合すると、債務者大学の当局が、前叙のとおり、債権者らの全学闘争委員会の要求に応じなかったのは、全学闘争委員会についてその構成員、その規約等が大学当局に明らかでなく、組織としてのその性格が不明であって実体を掌握できず、また、右委員会が必ずしも一般学生に支持されておらず、したがって右委員会の意見が事実上学生全体の意思を代表しているものとみることができなかったことと、目的のためには手段を選ばず、ときには実力行使ないしは暴力的行為も許さないという債権者らの過激な態度に起因したものと推認される。そうだとすると大学側が債権者らの全学闘争委員会の要求に応じようとしなかったことについては、一理なしとしないものといわざるを得ない。さらに≪証拠省略≫によれば、債権者らは勉学意欲に乏しいことが窺われるし、≪証拠省略≫によれば債権者甲野については昭和四六年一〇月一四日停学処分に付され、翌昭和四七年二月二一日に学則に従い学生たる本分を守ることを確約して処分を解除されたことが認められる。以上を総合すると、大正大学学長福井康順が、債権者らが前判示のとおりに本件各行為をなしたがゆえに、学校教育法第一一条、同法施行規則第一三条、大正大学学則第四三条、第四四条四号によって、債権者らをいずれも懲戒すべきものとし、前示各行為における債権者ら各自の行動の具体的態様その他諸般の情状を考慮して債権者甲野、同乙村および同丙川をいずれも退学処分に付し、債権者丁山および同戊原をいずれも一ヶ年の停学処分に付したとしても、それは学園の秩序維持のため、また教育上もやむを得ない処置であったと考えられなくはなく、これを目して右学長が裁量を誤ったものであるとか、本件処分は、社会通念上合理性を認めることができないようなものであるとかいうことはできない。

3 右のとおりであるから、本件処分は、有効なものと認められ、したがって債務者の抗弁は、理由がある。

三  以上のとおりであるから、債権者甲野、同乙村および同丙川が、現に大正大学の学生たる地位を有すること並びに債権者丁山および同戊原が、現に、大正大学の停学処分を受けていない学生たる地位を有することについては、疎明がないことに帰着する。

第二  本件に顕われた全疎明資料によるも、債権者らに、疎明に代わる保証を立てさせて、本件仮処分申請を許容するのを相当とするような事情は認め難い。

第三  結び

よって債権者らの本件仮処分申請はいずれも却下することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石垣君雄 裁判官 仙波英躬 裁判長裁判官宮崎富哉は、転任のため、署名捺印することができない。裁判官 石垣君雄)

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